神はイエスを通して、わたしたちに、救いを提供なさいます。 聖書の、マタイによる福音書第1章21節に記されてあります。「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名つけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
救いとは、もしもわたしたちが、神と個人的な関係にはいるならば、わたしたちは永遠のいのちを受けるという意味です。 聖書の、ヨハネによる福音書第17章3節に記されてあります。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。
救いへの道はただひとつだけで、それは、易しい道ではありません。 聖書の、マタイによる福音書第7章13-14節に記されてあります。「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者は多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」。
救いは稼いで得られるものではなくて、それは賜物です。 聖書の、エペソ人への手紙第2章8-9節に記されてあります。「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである」。
救いを受けることは、力があり、罪を悔い改める福音に対する個人の応答であります。
聖書の、使徒行伝第2章37-38節に記されてあります。「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい」。
救いを受けることは、簡単で、率直で、個人的であり、また、公のものであります。 聖書の、ローマ人への手紙第10章8-10節に記されてあります。「「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」。