クリスチャン生活は、いつも易いものではありません。 聖書の、マタイによる福音書第5章11-12節に記されてあります。「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」、そして、テモテへの第二の手紙第3章12-14節に、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており」。

  迫害は永遠に続くことはありません。聖書の、ペテロの第一の手紙第5章10節に記されてあります。「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力つけ、不動のものとして下さるであろう」。

  家族によって迫害された者たちへの約束があります。 聖書の、マタイによる福音書第19章29節に記されてあります。「おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう」。

  試練はわたしたちの霊的な成長を助けます。 聖書の、ヤコブの手紙第1章2-3節に記されてあります。「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである」。