お金だけがすべてではありません。 聖書の、箴言第13章7-8節に記されてあります。「富んでいると偽って、何も持たない者がいる、貧しいと偽って、多くの富を持つ者がいる。人の富はその命をあがなう、しかし貧しい者にはあがなうべき富がない」。
この世では富んだ者を敬うかもしれませんが、神が貧しい者を敬ったからとて驚かないように。 聖書の、ヤコブの手紙第2章5節に記されてあります。「愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたのではないか」。
わたしたちは熱心に貧しい人たちを助けるべきです。 聖書の、ガラテヤ人への手紙第2章10節に記されてあります。「ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである」。
困っている人たちを無視するのは、罪です。 聖書の、アモス書第5章12節に記されてあります。「わたしは知る、あなたがたのとがは多く、あなたがたの罪は大きいからである。あなたがたは正しい者をしえたげ、まいないを取り、門で貧しい者をしりぞける」。
貧しい者を助けることは、神の祝福をもたらします。 聖書の、詩篇第41編1節に記されてあります。「貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される」。
貧しい者の世話をすることによって、わたしたちは神を敬います。 聖書の、箴言第14章31節に記されてあります。「貧しい者をしえたげる者はその造り主を侮る、乏しい者をあわれむ者は、主をうやまう」。
教会は、家族のいない貧しい者を支えるために助けるべきです。 聖書の、テモテへの第一の手紙第5章5-6節に記されてあります。「貧しく身寄りのないやもめたちが、走りまわってうわさ話をし、楽しみばかりを求め、魂を破壊しないで、神の助けを求め、常に、祈りに専念しているのなら、教会はその人たちの世話をするべきである」。
神は、貧しい者を助ける者たちに、偉大な報いを約束なさっておられます。 せいしょの、イザヤ書第58章7-11節に記されてあります。「また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これに着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、「わたしはここにおる」と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる」。
わたしたちは貧しい人たちのために行動すべきです。 聖書の、アモス書第5章24節に記されてあります。「公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ」。