主は慈悲深いお方です。 聖書の、イザヤ書第30章18節に記されてあります。「それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵みを施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである」、詩篇第103編13節は、「父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる」と記されてあり、また、ミカ書第7章18節には「だれがあなたのように不義をゆるし、その嗣業の残れる者のためにとがを見過ごされる神があろうか。神はいつくしみを喜ばれるので、その怒りをながく保たず」と記されてあります。
不従順なときに、わたしたちは神の慈悲を経験します。 聖書の、詩篇第6編2節に記されてあります。「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます」。
高慢な者は神の慈悲を経験しません。 聖書の、ルカによる福音書第18章13-14節に記されてあります。「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と。あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。