物質の祝福は何処から来ますか? 聖書の、申命記第8章18節に記されてあります。「あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである」。
金銭はもっと重要な事の妨げになりますか? 富がわたちしたちの人生の中心となり神の替わりとなる可能があります。 聖書の、エレミヤ書第9章23-24節に記されてあります。「主はこう言われる、「知恵ある人はその知恵を誇ってはならない。力ある人はその力を誇ってはならない。富める者はその富を誇ってはならない。誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしめと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」。
富は物質に対する間違った態度をわたしたちに与える可能があります。 聖書の、ルカによる福音書第12章15節に記されてあります。「それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
財政の成功を第一目的にするのは知恵のない事です。 聖書の、マタイによる福音書第6章24節に記されてあります。「だれでも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」、そして、テモテへの第一の手紙第6章9節には、「富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである」と記されてあります。
お金持ちが神の国の市民になるのが難しいですが、不可能なことではありません。 聖書の、マルコによる福音書第10章23-25節に記されてあります。「それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
金銭を愛する事が悪へと導きます。 聖書の、テモテへの第一の手紙第6章10節に記されてあります。「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした」。
満足は、どれだけたくさんのお金を持っているとか、どれだけたくさんの持ち物を持っているとかに関係していません。 聖書の、ピリピ人への手紙第4章12-13節に記されてあります。「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。
わたしたちがお金を投資したところに、わたしたちの興味が集中します。 聖書の、マタイによる福音書第6章21節に記されてあります。「あなたの宝のある所には、心もあるからである」。